正義と悪は時代と環境で変わるよね
『人の命を奪ってはいけません』
超当たり前なお話ですが、これが許された時期や環境が存在するのも事実です。
一番身近な例を出すと『死刑執行』
執行人3人が同時にボタンを押して、そのうちのどれかが本物のスイッチになっているわけです。
結果的に執行人の誰かしらは死刑囚を殺めているわけですが、もちろん罪に問われるわけではありません。
言葉選ばずいうと、仕事で行なっているわけです。
これってよく考えたら、環境で善悪が変わるという証明になってる気がします。
今日はそんなお話です。
時代と環境で変わる正義と悪|原爆の話
まもなく終戦74年をむかえますが、原爆により日本では約20万人以上が犠牲になっております。
広島では1945年12月までに約14万人亡くなっております。
これだけ多くの人の命を奪った事実があっても、その作戦に参加した人々は逮捕も刑罰も受けていません。
むしろアメリカ国内では、日本との戦争を終わらせた英雄として扱われていました。
広島原爆(リトルボーイ)を投下したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長ポール・ティベッツ氏は、投下した当時の感想を「任務を終えてホッとしたよ、理解できないと思うが」と2005年に語っております。
(エノラ・ゲイの搭乗者も任務を命じられて行なったわけですので、少なからずとも本人の意思とは異なる部分があったでしょう。)
また、アメリカ側の考えではおおよそ原爆を正当化しているのも事実です。
多額の国家予算を注ぎ込んだ事実もあるため、アメリカ国民への説明として仕方ないかもしれませんが
ここでもやはり環境によって正義の定義が変化しているように感じます。
時代と環境で変わる正義と悪|零戦パイロットの話
原田要さんは真珠湾攻撃から大東亜戦争に参加した元零戦パイロットです。
大東亜戦争中に数えきれないほどの兵士の命を殺めた過去を自ら語られております。
兵車を爆撃して、飛行場の格納庫を爆撃、人の命をどのくらい取っているかわからない。何千人の命を撃ったかわからない人間がですね、今こうして生きているという事に対する罪悪感。それが身を切られるように辛いのです。でも、それは戦争だから仕方がない。
もちろん戦争中のため、殺めたことが罪に問われることはありません。
むしろ任務を遂行した優秀なパイロットとして評価されるわけです。
その後は、長野市にある『ひかり幼稚園』で園長先生も勤められました。
先ほどの原爆の例とは規模が違えど、原田さんの過去を見ても戦時中は人の命を殺める事に対して正当化されていた時代であると言えるでしょう。
※もちろん一般市民を多数巻き込んだ原爆について正当化する事に対しての意見はあると思いますが、大東亜戦争中、日本が統治していた国々で行なったことの真実か捏造かの話にまで発展してしまうため、本章では割愛します。
時代と環境で変わる正義と悪|フィリピンの法律の話
2016年にフィリッピンの大統領に就任したドゥテルテ大統領は、就任後すぐさまフィリピンの薬物撲滅に全力を注ぎました。
『麻薬撲滅戦争』とも言われるこの政策ですが、簡単に言うと『麻薬を使用している人や売買している人は撃ち殺しても罪にはならない』といった過激なものです。
結果、刑務所がキャパオーバーになるほどの自首が殺到し、治安回復には一役買った政策であった模様です。(実際僕がフィリピン首都マニラ市内を観光した感覚として、治安の悪さはさほど感じませんでした)
極論、嫌いな人がいれば『あいつ麻薬使ってたから!』と言い張る事で殺めることができてしまう国でもあります。
この国の例もまさしく『環境』で正義と悪が変わる例でもありますね。。。
今回出した例は一部にすぎませんが、時代・宗教・戦争・文化によって善悪の定義は本当に変わるものだと個人的に感じています。
谷口 峻路