『能力の資本主義』という考え方に賛成な件
最近mixiで10年近く前の記事を見ては
度々その時の自分の考え方を確認できるのはとても便利なものだと感じたので
ほぼメモがわりに自分の考えを綴ろうと思います。
今日は『能力の資本主義』という考え方に賛成な件について
何かの能力を得るには、根本的にある程度能力が必要
これは某方の仮説ですが、わりと昔から思っていたことなので、ある種自分の考えと言ってもいいかなぁと思います。
超当たり前ですが、新たな能力を身につけるには、前提条件としてある程度の能力が担保されていないと無理です。
わかりやすい例が数学
高校で習う内容は当然中学の知識を前提としています。
つまり、中学の内容を理解していない人はどんなけ努力しても基本的には高校数学の内容を理解することはできないでしょう。
故に、前提条件の能力がない人は解説を聞いたところで『参考にならない』のです。
もっと根本的なお話をすると、掛け算割り算をできていない状態では『数学』を理解するのはほぼ不可能なはずです。
ここの例では『当たり前の話を、何言ってるんだか』くらいにしか感じないかもしれませんが、実は日々気づかないところでこの原理は大きく作用しているんじゃないかなぁと考えてしまいます。
では話の例を資本主義社会の仕組みに移していきましょう。
少しずつの積み重ねで『学ぶ』速度が大きく変わる
現在資本主義社会において、格差を大きくしている要因の一つに『投資』があります。
仮に年利10%(基本ありえませんが)の案件がある場合、手持ち100万円の人が10万円を手にするのに掛かる時間は1年
しかし、手持ちが1000万円ある人は年利10%の場合、1年で100万円手にしてしまうので、単純計算でたった1ヶ月ちょいで10万円を手にしてしまいます。
つまり、手持ちのお金が多い人は、多くのお金を手にする難易度が下がるわけです。
よく『雪だるま式』と言う言葉を使いますが、『能力』にいたってもこの考え方は当てはまりそうです。
先程の例でもあげたように、何かの能力を得るには根本的にある程度能力が必要です。
そして、先程の金銭の例のようにある程度能力がある人は、一定の新たな能力を手に入れるのが容易くなると言う考え方にも繋がりそうな気がしています。
前提条件として必要とする能力を学ぶ過程をすっ飛ばして、更にもともと持っている他の情報と紐付けて理解できるからです。
そしてさらにその先の新たな知識を得るときも、比較的早く効率よく習得できることになることが予測できますね。
それはまるで、手持ち金が多い時に新たな金銭を得るのが容易くなるように
結論:毎日の積み重ね・ある人が突然天才になることはない
結論ベタですが、知識にしても毎日の積み重ねが大切だなぁと感じています。
先ほどの論理でいうと、知識もある程度雪だるま式に増やせていける側面もあるので、1つの事柄を学ぶことにより、結果的には他の多くの事柄を学ぶ時の効率が上がるんじゃないかなぁと思ったり。
分野問わずとも毎日の学習は大切ですね。