『アナログ時計を教える必要性』についての記事のコメントをいただいて~知育時計を活用して教えてみます~
こんにちは、谷口峻路です。
以前『デジタル時計が読める子に、アナログ時計の読み方を何ヶ月も教え続ける必要はあるのか?』という記事を書き、たくさんの方々からコメント・シェアをいただきました。
記事はこちらから
僕の感じている疑問について、コメントを下さりありがとうございました。
新しい考え方も生まれたので、大変感謝しております。
今回は、皆様から頂いたコメントをいくつか紹介・僕の中で変わった考え方・これからの教え方等を綴りたいと思います。
- アナログ時計を教えること自体は否定していません
- ①デジタル時計で問題ないという意見
- ②街中にはアナログ時計があふれている・災害時にデジタルは使用不能になる
- ③方角・回転方向の例え等に使える
- 知育時計を活用して教えてみます
アナログ時計を教えること自体は否定していません
最初に少し誤解をされていたところがあったので、補足させていただきたいのですが、僕はアナログ時計を教えること自体は否定しておりません。
ただ、学校にせよ放課後等デイサービスにせよ、目的は子どもの自立支援にあるため『デジタルで代替可能な時計を読むスキル』をアナログでも教え続けるよりも、
お買い物の方法(これからの時代を考えると電子マネーの使い方)や漢字の読み方などを教える方に時間を使った方が有効なのではないか?という考えでした。
僕達指導する側の人間にとっても、当事者にとっても時間は限られているので、長時間使用してしまうのであれば、他のスキルを伸ばした方が良いという思考です。
①デジタル時計で問題ないという意見
ここからは頂いたコメントとそれに対しての僕の返答(中略含む)を紹介したいと思います。
※プライバシーもあるため完全匿名でいきます。
代替が使えるのであれば、まずはそれでいいと思います。出先では自分が読める時計を持っていればいいし、公共の場所にある時計にもデジタル表示は増えています。一方でその表示が正しいとも限りません。 人が使える時間は限られています。余裕がある人は努力すればいいし、他に必要なことが多い人は、そちらの優先度を上げた方がいいと思います。
限られた時間をどう使うかは慎重に考えるべきですし、ストレスが掛からないよう分配して学ぶのが大切ですね。
うちの息子もアナログの時計は今24歳ですが、いまだにダメですね(中略) 努力しても出来ないことより、努力して出来るようになることを優先したいですね。本人の自己肯定感が低いから…
自己肯定感を上げることを考えると、他に得意な何かを伸ばすことを優先させてあげたいですね
視覚優位の人ならアナログの方が理解しやすい場合もありますが、それが読めないからといって生活に支障をきたすことはないと思います。 だから時間がわかること、必要な時間が把握できることが優先されるべきで、それがわかるのならデジタルでも構わないと思いますよ。
本来の目的は時間がわかるところにあるので、目的達成ができるのであれば僕もデジタルで構わないと考えています。
冒頭で述べた僕の考えと、おおよそ同意見のコメントです。
デジタルで事が足りるのであれば、自己肯定感を伸ばすためにも、他に必要なことや得意なことを優先させたいという考え方とみられます。
②街中にはアナログ時計があふれている・災害時にデジタルは使用不能になる
①の意見に対して、次のようなコメントもいただきました。
数ヶ月ではなく数年数十年かけてでも、無理強いはしないにしても少しずつでも、アナログ時計を意識する機会を持ち続けた方がいいと思います。 職場、駅、町中はまだまだアナログが多用されていますし、昨今のような災害が増えていくと、アナログ時計しか準備できないような事態にもなりかねず、当然スマホも電池が切れたら使えないですから。 知的+発達でも、人は成長し続けることができるのは、知的障害施設に8年勤める私が実感しています。40代でできなかったタンス整理が50代で出来るようになったり、他害をしないことを数年かけてでも学んだり。 なので、無理強いはせず、いやになったらお休みするにしても、お勉強というよりゲームとして楽しく、少しずつでも触れていけば、今後何があってもストレスが溜まらず生きやすい選択肢が増える、と思って継続された方がいい、と私は思います。
僕の考えの中には無いご意見でした。
確かに災害時など緊急事態が発生した際の事を含めると、デジタル系を携帯し続けることに不都合が生じる場合もあります。
その際街中のアナログ時計が読めるに越したことはありません。
③方角・回転方向の例え等に使える
アナログ時計は、時間を見るだけではないから、出来るならば見れる方が良いと思います。アナログ時計を理解しているだけで、例えば時計回りや角度や等分など色々な事の説明がわかりやすいですよ。仕事や運転、日常生活、その子供の未来の苦労を考えるなら、アナログ時計は理解出来るなら時間をかけても理解する方が良いです。
その考え方は盲点でした。教えていただき、ありがとうございます。
視覚障害者と接する事あればアナログ時計の針で方向を表現することがあります。知ってると知らないでは変わります。食事なんかのとき?時方向に?がありますとか表現したりします。
新しい考え方が生まれました。ありがとうございます。
こちらは①・②とは少し種類の違う意見です。
そして、この考え方も僕の中にはありませんでした。
僕たちが日常生活で使っている表現にアナログ時計が含まれているという趣旨ですね。
因みに僕は音楽関係の仕事もしているため、音量を変えるつまみを『9時くらいで大丈夫です!』『1時間くらい上げてください!』と伝えたりすることがあります。
知らぬ間に使っていたアナログ時計の表現だったのですね💦
↑音量を変えるつまみ
知育時計を活用して教えてみます
皆様のコメントを読ませていただき、新しい考え方が生まれました。
冒頭でお伝えしたように、『デジタルで代替可能であれば無理する必要はない』という考え方の土台は変わりませんが、災害時や抽象的な表現を考慮すると、以前より必要性を感じるようになったので、当事者にストレスがかからないよう配慮しつつ、知育時計を使いながらもう一度チャレンジしてみたいと思います。
紹介していただいた知育時計を早速購入!!
谷口峻路のTwitterはこちらからどうぞ